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真田太平記

240505 真田太平記こどもの日を兼ね、真田氏の兜と鎧を見に、長野県上田を訪れました。10代の頃、池波正太郎原作の真田太平記をテレビで見て、オープニング映像、真田が2つに別れるシーンと猿飛佐助だけが、未だに脳裏に残っていました。戦国時代を巧みに駆け抜けた真田ゆかりの地は、新緑あふれる山奥から始まりました。その後千曲川のほとり、上田城に移ります。2度の徳川の大群を退けた城は、全国でも他に例がありません。堀と土塁を張り巡らし、立派な櫓が残っていました。真田井戸と呼ばれる井戸は、北側への抜け道でもあり、大阪に建てた真田丸に似て、忍びが活躍した時代のミステリーに驚かされました。真田氏の家紋は、六文銭といわれ、三途の川の渡し賃として棺に入れられ、武士が戦いに挑んでは生きて帰れぬものという強い意志の現れだそうです。今でも頭蛇袋に入れて棺へ納められているのは、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道)を輪廻転生するときに、助けの手をさしのべてくれる六地蔵にお賽銭する為ともいわれています。開業前にこの地を訪れたことで鼓舞され、士気が高まったように感じました。