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一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し~元慶應義塾普通部長 山﨑一郎先生最終講義

240325一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し~元慶應義塾普通部長 山﨑一郎先生最終講義 ”一生のうちに全く違う人生を体験することは、まるで一人の人間が、二つの体を持つようなものだ”福澤諭吉先生は、明治維新の前後という大きな時代転換期を経験したことを、『文明論之概略』の中でこう表現しました。
今の自分の胸中にすっと入ってくるものがありました。
 2024年3月、私は中学の母校、慶應義塾普通部を訪れる機会がありました。卒業式以来、34年ぶりに門をくぐると、建物や教室は新しくなっていましたが、所々に昔の名残があり、自分が育った空気を感じ取れました。34年間訪れなかったのには、理由がありました。卒業式の直後に、クラスメイトからの暴力にあい、自分の中でその事を忘れたかったからか、足を向かう気になれませんでした。でも昨年の夏、優勝した慶應義塾高校野球部の応援で、甲子園球場を訪れた時、偶然にも、普通部でお世話になった山﨑一郎先生に会いました。”菊池しんだい”と当時の呼び名で、私の名前を音読みで呼んで頂き、昔に聞いた覚えのある先生の声のトーンと34年間も覚えていただいたことに深い感銘を受けました。その山﨑先生が勇退されるとお聞きし、普通部を訪れたのです。
 山﨑先生の最終講義は、福澤諭吉先生のお話で、昔を思い出す()の中を埋める穴埋め問題が配られました。昔の授業も、先生が黒板に書かれた文の()に入る言葉を、生徒に片っ端から当て、答えられないと立たされるという刺激的な授業だったので、その日も当てられないか目をそらす自分がいました。今思うと、先生のお陰で社会が好きになり、地名や事柄など、大事なタームを覚えることの重要性を勉強出来、大変感謝しています。
 その授業の中で、”一身にして二生を経る”という福澤先生のお言葉に出会いました。今までは誰かの傘の下で守られてきましたが、クリニック開業という自らが先頭に立って医業をすすめて参ります。人生100年時代の50歳を迎えた私にとって、大事な言葉です。今までにお世話になった方々に少しでも貢献できる、恩返しができる半生にしたいと誓う今日この頃です。